女性誌の仮名のひと

今日友人と話していて、ふたりで疑問に思ったこと

女性誌に登場するアンケートのコメントのひとは本当に実在するのだろうか、と。

「オフィスで上司と×××しちゃいました(25歳 東京 ミツコ 仮名)」
「酔った勢いで彼でもない友人と...(20歳 神奈川サヨリ)」

そして、そういったデンジャラスな体験をしたことがあるかないかのアンケートでは、「はい」と答える人が半数だったりする。

私や友人が世間知らずなのかもしれないが、そんな状況に出くわしたことがないし、実際にみたことがないし、オフィスで×××は気が気でなくてできる気がしない。というか、仕事しろよ、なんだよ×××て。

出くわしたことがあると言う人がいたら、是非教えてほしい。

それがいいのか何なのかわからない~jazz編~

この世に存在するほぼすべてのことには価値があり、良いか悪いか比べられる。
私たちが毎日吸って吐く空気にでさえ価値がある時代だ。富士山頂上の空気の缶詰めという商品だってあるのだ。

今日は、そんな価値があると思うが自分にはそれがなんだかわからなかったりわかったりする話をしたい。
具体的には...

Jazzである。

Jazzほど私のなかでモヤモヤしているものはない。
もちろん、Jazzは好きだ。ニーナ・シモンの「Ain't got no」やドリス・デイの曲を聞いたりもするし、出張がてら神戸のjazzクラブでヘベレケになったりも、学生のころは新宿のjazz喫茶でよく昼間から酒を飲んで暇を潰したモノだったなぁ、よかったなぁ

しかしながらである。
ふと気づいたのである。

Jazzって何。

本当に好きな人や、自分で演奏している人に申し訳ないのだが、
実は心の底で以下のように思っているのである。
本当にごめんなさい、さきに謝っておきます。素人の戯言です。
「例えば音楽の教養が一切なく、音符も読めないわたしがみよう見まね弾いてみたピアノと、プロが崩してひくようなピアノ旋律、何をもってどちらがJazzでどちらがJazzでないといいきれる、境目はどこなのだろ...」

私は今まで、Jazzてなんだかかっこうぃーというテンションで聞いたからこうなったんですね。

結局、なにも理解していないし理解が難しいなとわかり始めたマイレボリューション。

そして、マイレボリューションに気づくきっかけとして以下のようなことがあった。

ある、カレーカフェにたまたま入ったときのこと。
こはちょうどJazzの生の演奏デーだったらしい。若い男性二人が、ラッパとピアノで演奏していた。

私は普通にカレーを食べていたのだが隣にいた中年男性が、下を向いてカレーを食べていたのに、急に「オウ!」「イェア!」「ヤァ!」と声をあげるのである。いきなり声を出すので、こちらもビクッとする。しかし、しばらく聞いているとそれは、間の手であることがわかる。
その時、はっとした。三年前くらいに新橋のCDやさんで売っていた安いJazzのCDの中に、演奏中に遠くのほうで男の人がの声が短く入っていて、心霊現象では、と怖くなりそれから一度も聴いていない。なるほど、あれは間の手だったのか。
ヤフーで念のため調べるとやはり、間の手であることがわかった。

Jazzを愛する皆さん、私はなんちゃってJazz好きです。
今後、Jazz喫茶やクラブで分かってるような顔をしたり物思いに耽った顔で酒を飲むのをやめます。
Jazzってむずかしいなぁーわかんなあーい
くらいのテンションで飲もうと思います。

しかしね、カレー屋さんの店員さんも、急に始まった間の手を自分が呼ばれたんだと勘違いして、中年男性に注文を聞きに行ったのを私は見逃さなかった。君も、なんちゃってだろう?

オフィスで急に始まる負の球ドッチボールについて

それは、急に始まる。
きっかけはなんでもあり得る。

何かの誤りを指摘するとき。
何かの誤りを指摘されるとき。
わからないことを聞くとき。
わからないことを聞かれたとき。
等々...

突然、抱えていた負の感情の球をだれかにあてるのだ。
だいたい当てられやすいのは20代前半から半ばすぎの社員。または、その仕事の担当になって日が浅いひと。または、年上女性→年下女性。年上男性→年下男性、年下女性。

この私の超主観的な法則から、私自身は実に負の球ー別名 汚ないモスボール(イメージ 汚いSUUM●) を当てられやすいといえよう。

何かを間違えたとき、怒られるのは当然なのだが、
例えば何かわからないことを聞いたときに烈火のごとく怒鳴られ散らされるのは少しげんなりする。
忙しいときに声をかけるのも悪いのだが、聞かざるを得ないときもある。
この場合は女性が多い。女性はきっと別の怒りを溜め込みつづけ、常に吐き出し場所を求めているのではなかろうか。
特に、40代50代の方々は現代のように女性の社会進出が盛んではなかった頃に、男性と一緒に働いてきた生き残りだから、抱えてきた怒りや悲しみは計り知れない。
その数十年物の怒りは解消されることなく彼女たちのなかに少しずつ溜まり絡まり巨大化していっているのだろう。
そして、忙しいときにそのモスボールをもてなくなりぶつけ始めるのだと思う...
もちろん、忙しいときに話しかけられていらっとするというのもあるのだが、どうも私には少しの「いらっ」の下にモスボールが絡まりついて芋づる式にでてきているように見える。


たまに、自分のなかにもモスボールが転がりながら巨大化しているように感じるときがある。
私は負の球をぶつけたくない、と冷静にしまいこもうとするがあと2,30年先どうなるのか少し怖いのである。

愛人契約のような話をされたはなし

こんにちは potatodecoponです。

これが私の第一回目のブログ投稿です。
ブログといふもの、せんと書き綴るなり。

一回目からタイトルがアダルトなのですが、
これは私が最近出くわした本当の話です。


どんなことかというと、タイトル通りですね。
愛人契約みたいな話をもちかけられました。
多分。

場所は福岡の大濠公園
一人で散歩して、のんびりしようとベンチにかけたら、キャップ帽とサングラスをかけたお爺さんが話しかけてきた。
愛宕神社はどこかの」
私は東京から福岡に転勤してきたばかりだったので
「知らないです」といった。困ってるかとも思ったので、スマートフォンでも調べてあげたが、説明がめんどくさいなぁとおもったやさき、
「ここ、あまりこないの」と急に隣に座ったのだ。
なーんだ、ただの寂しいじじいかよ...
とため息をつくと
「私は京都から来てね、お坊さんをやっててね、今日は仏像をみにきた」
といった
聞いてねぇ、といいたかったが、私は年寄りにはやさしいのだ。
「はぁ、そうなんですねぇ。わたしも転勤で最近こちらにきたので、愛宕神社がわからずすいません」
ご丁寧に謝罪もした。
「やっぱりねぇ、おねえちゃん、不安そうだから声かけたんだ。私は坊主だから人相占いなんかもできる。顔を見ればなんでもわかるよ。」

あれれ?なんかおかしいぞこの人。と頭の隅にいる私の警戒人格が助言をした。
じじいはさらにつづけた。
「あとね、おねえちゃん、気が強いやろ。あんたみたいなひとはそんやなぁ、ツーンとしてるようにみられるわぁ」
私は目鼻立ちがはっきりはしているが、気が強いとは違う。損もしてない。
黙っていると
「なぁ、また会わへんか?まえに仲良くしていた福岡のおねえちゃんには五年で300万つこうたよ。
食べ物や、旅行、あ、旅行といっともな、もちろん部屋は別やで。下心なんてあらへんよ。」

おいおい、このじじい、なんて生臭坊主だよ。そしてさらに
「わたしは妻をなくしているし、月収も100万ある。坊主としても成功してる。」
とのこと。

私は、このしわしわで萎びたヘチマにキャップ帽と眼鏡をかけたみたいな男に、あわれみと、嫌悪感を抱いた。ついでに、五年で300万は安すぎるとも。

私は池に浮かぶ鴨をみながらゆっくり立ち上がり、
「用事がありますので」とその場を去った。

目を会わせたくなくて、走るように逃げたが、何かが私の背中にはりついたそんな気がした。